この20年、受験指導を通して、多くの若者が壁にぶつかり、悩み、苦しみ、その中から成長する姿をつぶさに見ることができた。5年担任をしていたある時は、「朝5時に起きて勉強したいのにどうしても起きることができない」と悩む寮生がいた。朝5時に起きて勉強と聞くと、どえらい頑張りに聞こえるかもしれないが、始業が比較的遅い麗澤瑞浪では特別なことではない。6年の夏にもなれば特進コースでは朝勉をしていない方が珍しいくらいだ。そうは言っても17歳の育ち盛り。早起きして勉強したいと頭で考えても、体の方は一分一秒でも寝ていたいから、毎朝が自分との苦しい闘いとなる。結局その生徒は奮闘の末に朝勉を毎日の習慣にすることができたのだが、果たして自分や自分の子供が17歳の頃にこんなことで真面目に悩んだであろうか。ここまで真剣に一日一日を過ごしていたであろうか。たかが朝勉、されど朝勉。親元を離れて必死に自律しようとするその姿には心を打つものがある。 受験で最も恐ろしいことは、死ぬほど努力しても合格の保証がないことである。休日、夏休み、正月、ゲーム、漫画、スマホ、男女交際、やりたいことを全て返上して頑張っても、非情な運命が待っているということが多々ある。ひたすら精進して勉強した生徒が落ちてしまった時に担任としてできることは、君は本当に頑張ったと、悲痛な声を絞り出すことだけだ。件の5時起きの生徒も残念ながら第一志望には合格できず、第二志望の大学に行くことになった。しかし、不思議なことに、そのように突きぬけて頑張った生徒こそ、暫くすると不死鳥のように蘇り、たとえその環境が自分の望んだものではないとしても、その場所で最善を尽くそうとする。総じて皆、その後の成績もよく、最終的には自分の夢を実現することが多い。彼らは、挫折は人生の糧になる、ということを身を持って示してくれる。 普通の高校生をここまで人間的に成長させるものは一体何なのか。図らずも今年、その答えの一端を得たのでここに紹介したい。